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中央アジアで鐙

中央アジアで鐙が発明されそれが東ヨーロッパに伝わると、騎兵は馬と鎧を纏った自身の体重を手に持った槍の矛先に集中させ攻撃することが可能となり、騎兵は機動力に増して強大な攻撃力を期待できるようになった。特にフランスなどの欧州地域では、騎手が全身鎧を装着し、騎馬にも鎧を装着させるなど騎兵の重武装化が進んだ(重装騎兵)。欧州地域では蹄鉄が広く利用されたことや、馬種改良により大柄で力の強い重種馬が出現していたことも騎兵の重装化を支えた。しかしこれら騎兵の過剰なまでの装甲化は重量の増加から機動力を殺ぐ結果をまねいた。重装備の装甲騎兵は、歩兵陣形の側面または後方に温存され、戦闘の最終段階で敵歩兵を突破する戦力として用いられた。

ヨーロッパでは重騎兵である騎士が戦争の花形となり、弓などの射的武器を卑怯として敬遠する風潮や、儀礼化した騎士同士による一騎討ちが戦争の体系となるなかで大いに栄えた。中世後期になり、それまでの儀礼的な戦闘が相手の戦力を殲滅する戦いに変わっていくと、歩兵戦力の重要性が高まった。歩兵は密集陣形をつくり、長弓や弩弓のような投射武器やハルバード(Halberd 槍斧鉤形状長柄武器)やパイク(5-6mの長槍)のような長柄武器で騎士に対抗した。歩兵の対騎兵戦術が整備されるとともに、戦場での騎士の重要度はしだいに減少した。近世になると火縄銃や大砲などの火器が、動きの鈍い重騎兵の脅威となった。重騎兵の胸甲をマスケット銃が貫通できるようになると全身甲冑はもはや無意味なものとなった。重騎兵の伝統は胸甲騎兵(装甲は胸甲に限られるが全身甲冑より厚く重い鉄板を用いる)に受け継がれたが、近代の銃器の発達により軽騎兵に吸収される形で次第に消滅した。

中国でも騎馬の重要性は高まったが、やはり歩兵が主力だった。北東アジアでも騎兵の装甲化は進んだがヨーロッパにおけるような過度の重装化には至らず機動力が失われることはなかった。この適度な重装化は、軽装に留まったイスラム諸国との戦いにおいて有利な条件を生み出していった。

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2008年12月09日 10:02に投稿されたエントリーのページです。

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